おはなうえるくまらいふ

くま系ランドスケープデザイナーからみた日々の雑感と、現場、旅行先で出会ったもの。とにかく、どうでもいいけど聞いて欲しいこと。

その泉、或いは噴水

そして私は扉を開けた、水面が輝く静寂の彼方に私はこれからおこることに思惑を寄せて、BGMはそう、サティ、もしくは、いやあるいは「エステ荘の噴水」。

 

もう一つ扉が私を待っている、その前に少し湿り気を帯びた懐紙のようなものを手に取り、おもむろに先ほど一旦開けた扉を閉じて、その扉を念入りに拭きあげ、また開ける。いつも、あたらしい扉を開けるたびに、少しの恐怖と新しくおこるであろう出会いに一喜一憂してならない。そのままでいることの、夏休みが開ける8月31日のように、その扉一枚を境にして現実を非現実を彷徨うようになる、レコードの針がプツプツと過ぎたことを知らせるのが怖いのかもしれない。時間というものは面白く私たちを逆戻りさせてはくれない。やはり、進むしかなく、一方通行の他の選択も用意されていないこの状況においては、抗うのことも意味なく、もう一つの扉にまた出くわすのである。もう一つの扉はまたその手にした懐紙により円を描きながら拭くこととなった、人は円を描くことによって、永遠を経験するらしい、存在しない永遠は、そこには存在し、私は一瞬にしてこの地球を一周したかのような気持ちになってならない。「エステ荘」のしらべから解き放たれ音楽も流れない、それは禅のようで、ただ拭く音が流れる静寂のじかんである。その目の前にあるもう一つの扉も開けなくてはならない、これまで進んだ道であるのだからその向こうの泉、あるいは噴水に顔を近づける。このモノクロームのこの世界にやってきてしまった自分は、この世界の速い流れに置いては行かれないだろうか、この瞬間にも、あの人は会社のなかで朝礼を、またあの人は暑い熱帯夜の夜明け前にモノクロームに差し込む光のなか愛を語っているのだろう。無音のうるささに目を覚ましてその泉、或いは噴水にブラシを差し込む、そうだ、私はこの行為を行うためにここへやってきたのだ。泉と噴水の清掃は、この上なく神々しくなっていく。そのブラシが湧き水を泳ぐ稚魚のようにすばしっこく揺らぐ。やがて、それも終わり。ふと顔を上げると引き金を引いた、このトリガーがバタフライエフェクトを起こしすべての地球が、世界が、社会が好転していくのを願ってならない。影響というものは一瞬の、誰かの引き金によって起こるのであろう。このうなり叫ぶ、怒号が終末を私に知らせる黙示録のラッパ吹きではないことを願い、進んできた扉をすべて閉め白い静寂の部屋を後にするのであった。

 

とまぁ、簡単に言えばトイレ掃除をしました。

では、したっけ!
本日もおつきあいいただき、ありがとうございます。